物心ついた時から、私は自分の脇汗の量に悩まされてきました。体育の授業の後、クラスメイトが涼しい顔をしている中で、私だけがTシャツの脇の部分に、くっきりと濃い色の汗ジミを作っている。そのことが、たまらなく恥ずかしかったのです。特に思春期を迎えた中学生の頃には、その悩みは深刻なコンプレックスへと変わっていきました。私のクローゼットから、ファッションの定番であるはずの灰色のTシャツや、水色のシャツが消えました。汗ジミが最も目立つこれらの色は、私にとって「禁断の色」だったのです。選ぶ服は、汗が目立たない白か黒、あるいはネイビーといった濃色ばかり。デザインや流行よりも、いかに汗ジミを隠せるかが、私の服選びの最優先事項でした。夏場は、制汗剤をスプレーし、さらに脇汗パッドを貼り付け、その上からインナーを着て、ようやく制服のシャツを着る、という重装備が欠かせませんでした。それでも、緊張する場面や、少し蒸し暑い教室では、じっとりと汗が滲み出てくる感覚に、常に怯えていました。授業中に手を挙げる時も、脇が見えないように、不自然に腕を体に引きつけて挙手する。友達と肩を組んで写真を撮る時も、脇が密着しないように、ほんの少しだけ距離を置く。そんな、他人から見れば取るに足らないような、しかし私にとっては必死の防御策を、毎日繰り返していました。一番つらかったのは、周囲の何気ない一言です。「すごく汗かいてるけど、大丈夫?」という、おそらくは親切心からの言葉ですら、私の心にはナイフのように突き刺さりました。自分の体が、自分の意思とは関係なく、恥ずかしいサインを発信し続けているような感覚。それは、自己肯定感を静かに、しかし確実に蝕んでいきました。脇汗のせいで、着たい服が着られない。脇汗のせいで、人との距離を気にしてしまう。脇汗のせいで、自分に自信が持てない。この、たかが汗、されど汗の問題が、私の青春時代に、どれほど暗い影を落としていたことか。同じ悩みを抱える人にしか分からない、深く根差したコンプレックスとの闘いは、大人になった今も、形を変えながら続いているのです。