私の息子が発達障害であると診断されたのは、高校二年生の秋のことでした。小学校や中学校では、忘れ物が多いものの成績は優秀で、少し個性的な子として通っていました。しかし、高校に入り学習量が増え、部活動の主将としての責任が重なるにつれて、彼の日常は少しずつ崩れていきました。提出物が期限までに出せない、テストの時間配分がうまくいかない、そして何より「みんなと同じようにできない自分」を責めて部屋に閉じこもる時間が増えていったのです。私は当初、単なる思春期の反抗や疲れだと思い「頑張れ」と励ましていましたが、その言葉が彼をさらに追い詰めていることに気づき、意を決して発達障害を専門に扱う病院を受診しました。受診までの数ヶ月、私は「もっと早く気づいてあげていれば」という後悔と、診断がつくことへの漠然とした恐怖に苛まれていました。しかし、実際に病院で行われた数日間にわたる心理検査と丁寧な医師の診察を経て、彼がADHD(注意欠陥多動性障害)とASD(自律神経スペクトラム)の特性を併せ持っていることが判明したとき、真っ先に感じたのは絶望ではなく、深い納得感でした。彼がこれまでどれほど苦労して、普通に見えるように努力していたのかをようやく理解できたからです。医師からは、本人の努力不足ではなく、脳の特性による困難であること、そして環境を整えることで可能性は無限に広がることを教わりました。そこから、私たちの大学受験に向けた新しい戦いが始まりました。病院のアドバイスを受けながら、学校に診断結果を伝え、定期テストでの別室受験や時間延長といった合理的配慮を依頼しました。また、共通テストでも同様の配慮が受けられることを知り、医師に意見書を書いてもらいました。薬物療法も開始したことで、彼の頭の中のノイズが静まり、ようやく目の前の学習に集中できる環境が整いました。一番大きな変化は、息子自身が「自分はダメな人間ではない」と思えるようになったことです。診断という名の光が、彼のこれまでの失敗に理由を与え、前を向く勇気を与えてくれました。高校生という多感な時期での診断は、家族にとっても大きな試練でしたが、病院という専門的な後ろ盾を得たことで、私たちは孤独な暗闇から抜け出すことができました。受験の結果がどうあれ、彼が自分の特性を受け入れ、自分の足で人生を歩み始めた事実に、私は心から安堵しています。発達障害は障害ではなく、一つの生き方のスタイルなのだと、今の私たちは確信しています。